〜新潟交通の車両〜
新潟の私鉄・三セクへ戻る
※前ページの写真は、モハ10形11、月潟にて。(1998/12/20)
新潟交通鉄道線は、1933年4月1日に新潟電鉄として開業した路線で、かつては白山前〜
燕間の36.1kmの路線でしたが、自家用車の普及によって乗客の現象に歯止めがかからず、
1992年3月19日限りで白山前〜東関屋間が、1993年7月31日限りで月潟〜燕間が廃止され
ました。その後も厳しい経営状態は変わらず、ついに1999年4月4日をもって全路線が
廃止されることになりました。中ノ口川に沿って走る「電鉄」は今、最期の時を迎えよ
うとしています。 車両は旅客車11両、事業用車2両の13両が在籍しており、その中には小田急から譲渡された 2220形2両が含まれています。 モハ10形は11・12・14の3両があり、書類上は電鉄開業以来の車両の車歴が引き継がれて います。いずれも1960年代に日車製標準車体に載せかえられた釣り掛け駆動車です。11・12 の床はビニールシートで覆われていますが、その下は木製のようです。 モハ18形は書類上の大元はクハだったようですが、車歴面では非常に複雑です。モハ18形 自体、現在は2代目ということです。モハ19形は元東武デハ6が書類上の起源だそうです。 モハ20形は21のみで、1933年製のモハ13が書類上の起源とのことです。 モハ24形は24・25の2両があり、共に芝浦製の電動機を積んでおり、独特な走行音が 楽しめるということですが、25についてはすでにモータが撤去されており、付随車として 使われています。24も付随車代用として使われており、芝浦製モーターの音は過去のものと なっています。 モハ2220形は2229-2230の2両編成で、元小田急2220形です。1984年に新潟交通に譲渡され ましたがワンマン機器の追加以外は車号も含め、現役当時そのままの姿でラッシュ時輸送で活躍していま したが、1998年11月上旬にMGの故障で運用から離脱、東関屋の留置線の奥で休んでいます。 カルダン車初期の独特な走行音が楽しめた車両なだけに、惜しまれるところです。 沿線の主要駅は貨物輸送を行なっていた頃の面影がいたるところに残っています。設備の 老朽化は著しいものの、「駅」に必要な要素がぎっしりと詰まっていました。 |
MG故障のため1998年11月4日以降運用を離脱してしまった2220形。この時妻面には「小田急電鉄」の
銘板が残っていましたが、3月に再訪問した際には外されていました。
2230、東関屋にて。(1998/12/20) |
モハ19の車内です。床は木製です。 七穂にて。(1998/12/20) |
「電鉄」は中ノ口川の堤防に沿って走っています。右側がその堤防です。
モハ19車内、白根→味方間にて。(1998/12/20) |
東関屋でなかば「展示」されていた除雪車キ116と事業用車モワ51。この2両については廃止後、月潟での
保存が決定しています。
東関屋にて。(1999/03/23) |
「電鉄」沿線には3ヶ所、内側からモータの力で鐘を叩く今となっては貴重な打鐘式の踏切が
残っていました。これは黒埼中学前〜越後大野間にあった「鳥原町道」踏切です。他には
新大野駅近くの「大野県道」と味方駅近くの重要文化財・笹川邸の近くにある「笹川邸前村道」
にありました。
黒埼中学前〜越後大野間にて。(1999/03/23) |